機動戦士ガンダムSEED DESTINY 最終話

「明日」。ある意味この作品を象徴する言葉だった。
明日の(放送の)為にと大量に使われるバンクと総集編。明日には都合よく転がり込んでくるアークエンジェル側のモノと状況。そして明日という言葉に投げ捨てられる結末。

最後デュランダル議長の前に立つのはキラ。部下として手足となって戦っていたシンでもなければ、一時はその下で働くも疑問を感じて飛び出したアスランでもなく、作内では初対面で係わりの薄いキラ。そんな関係の人物達が並び立てる言葉に確固たるものがあるはずもない。
憎んでさえいたキラの一言で、あっさりとデュランダルを捨てるレイの改心ぶり。戦争の被害者、そしてその復讐者として登場したシンも、結局はアスランに叩かれてオワリ。言葉一つ、拳一つでどうにかなるものを、1年にわたって見せてきたワケだ。

当初の構図、匂わせていた設定。そこから考えるとかならずしもこれが意図した結末だとは思えない。早い段階で越えるか積み重ねるかしなければならない課題を、最後の最後まで引き伸ばし描く機会を逃してしまった。そんな印象。

作り手の歪んだ愛情が子供(キャラクター)の成長を封じ込め、率先して進む道から障害物を取り除く、そんな甘さを見せてしまったのか。それとも自身のいい加減さが「明日でいいや」という甘えを生んでしまったのか。