CLANNAD AFTER STORY 第22話

CLANNAD AFTER STORY
これは物語上の出来事と解釈するよりも、ゲームのルート構成を下地にトゥルーエンドへ真っ直ぐに進んだ完結編、として観るべきなんだろうなぁ。
構成の流れとしては「渚の死の前にまで時間が巻き戻った」のではなく、「渚の死を受け入れてもう一人の朋也でもあった父親との問題を乗り越えた」からこそ、その先にあった完全なる幸せ、ハッピーエンドがようやく訪れたんだと。物語上の奇跡ではなくて、美少女ゲームが持っているパラレル性をそのまま持ち込んだような形。と言うよりも、ゲームと切り離せなかったからこその妥協点なのかも。

幻想世界の少女との同一さを匂わす汐。そんな汐と唯一、友達として仲良くなろうとするのが、以前に意識だけで街に存在していた風子。かつて両親の居なくなった家で絶望していたことみに、街の桜を守るために懸命になっていた智代。そして街に命を救われたという古河家の娘である渚と、彼女の娘である汐。
たくさんの出会いの中でいくつもの喜びが生まれるが、同時にそこには悲しみも存在する。だからといって出会いを否定するのではなく、喜びと共に悲しみも享受しなければならない。そんな出会いの繋がりこそが絆を生み、家族を生み、大きな街となって存在するのだから。そしてそれこそが私たちの生きる世界なのだと。

テーマとしては真っ直ぐなまでの現実肯定。清々しいほどに明快だ。朋也の心情と成長過程を最後までブレずに描ききったという点も、十分に評価出来る点だと思う。ただやっぱり、一つの流れがあるアニメにゲームの構成を持ち込んだ部分は、成功したかというと否定せざるを得ないとも思う。やはりこういったコンプリート作業は能動的なゲームだからこそ達成感と共に感動を得られるのであって、受動的な映像メディアでは仕掛けとして働かず、お仕着せがましい神の手に見えてしまう。フィクションはフィクション内で、作品は作品内で完結しないと、やはり受け入れがたい違和感が残ってしまうなぁ。